カタルシスをもう一度

カタルシスを繰り返し得る為の試みです。

人生は野球で言えばバッティングである。

僕は野球が好きだ。

僕自身は野球少年であった時期もあったが、本格的に野球チームに属してプレーをしていたわけではない。基本的には観戦して楽しみ、野球の専門番組や特番等でマニアックな野球理論もなるべく理解しようと務めたり、自分なりに分析してみたりといった程度なので、僕のプレーヤーとしての経験とか能力は特に大したことはない。

 

そんな僕が、長嶋茂雄さんの様に「野球とは人生そのもの」とまで言うのは説得力にかけるだろうが、「人生はバッティングである」と思えばある程度割り切って生きていくことが出来るということ、また、納得がいくことが多いということは以前から思っていたので、いささか強引ではあると思うがここにまとめてみようと思う。

 3割打てば一流

野球のバッティングの成績には様々な数字がある。今ではメジャーの影響もあってやたらと色んな指標が増えたが、やはりわかりやすさで言えば「打率」だと思う。一般的に、シーズン通して3割打てば1流と言われており、毎年の首位打者の打率は大抵高くても3割半ば~後半である。打率ランキングでもシーズンが終わった時に3割を超えているバッターは、リーグで10人前後しかいない。何年も連続で3割打つなんて至難の技。

さて、この3割という数字、考えてみて欲しい。プロの野球選手でも、3割。それは、7割は失敗に終わっているという事実だ。子供の頃からずっと野球をしていて、10年20年たって、どんなに頑張っても良い結果が出るのは4割に満たない。それは、3割の成功がいかに難しいかという証明ではないだろうか。人生も同じだと思えば、納得がいく。10回に7~8回は失敗して当然、そして大事なのは、結果を出す為に何度でもバッターボックスにたとうという挑戦をすることだ。

安定などない

3割バッターといってもコンスタントに3割を打っているわけではない。何試合もヒットが出ない時がある。その間は当然打率0割。かと思ったら、立て続けにヒットが出る場合もある。1試合に限れば10割とも言える。人生も同じだ。悪い時は重なることもある。調子が良い時はウハウハ状態になることもある。ずっと安定した人生などないということはバッティングを顧みれば一目瞭然だ。

絶対の法則などない

バッティングにも基本や理論というのがある。例えば基本的にはバットの芯で捉えようとするし、なるべく強い打球を打つといったもの。しかし、フラフラ~ッとつまったフライが落ちてヒットになることもあるし、芯で捉えた打球が野手の正面をつくこともある。止めたバットに当たったボテボテのゴロがヒットになることもある。要するに、一度バットを振りだしたら、その結果は誰にもわからないということだ。こうすれば結果が出るというのは後づけであり、確率的にという前提で仮の理論は構築出来ても、絶対のセオリーはない。これは正に人生じゃないか。

理不尽

ホームランを打ったはずなのにファウルと言われ、どう見てもセーフな内野安打を打ったはずなのに一塁でアウトと言われる。近年では技術の進化やビデオ判定等もあって、疑惑の判定はすぐに超スローモーションの鮮明なリプレイで覆ることもなくはない。しかし、それでも覆らない時はある。更に、後になってあの判定は間違っていたと当の審判が認めて謝罪しても、試合が成立した後では成績には反映されない。過ぎたことはたとえ誤りであったと誰もが認めても、覆らない。それをなんとか受け止めて、割り切って生きていく…完全に人生だ。

まとめ

というわけで、簡単かつ強引ではあるが、人生と野球のバッティングをかけて考えてみた。僕が言いたかったのは、プロの1流バッターでも結果が出ているのは3割なんだから、3割良いことがあれば儲けものじゃないか、そう思って恐れずにどんどんバッターボックスにたってバットを振ってみよう、ということだ。

僕も、迷った時には、7割以上は失敗するのが人生なんだから、むしろ恥をかいてやる!失敗してやる!上手く行けば儲けものだ!と思ってなんとか行動に踏み切る様にしている。

もし、人生で失敗や恥を恐れて動けない時に、この話を思い出して少しでも行動することが出来たなら幸いだ。